人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし
徳川家康の遺訓とされている、有名な言葉ですね。
この言葉の解釈については、人それぞれかと思いますが、冷静に考えると違和感を覚えませんか?
苦しいのが人生なら、夢も希望も持てなくなるじゃないか…
世間体という重荷
人は成長するにつれ、世間で認められるために肩書で身を固め、上手く世渡りするための人脈を集めます。
お金を稼いで、マイカーやマイホームを手に入れ、身の回りはモノで固めます。
そうすれば、世間で楽に生きられると思うから…。
でも、実際はどうでしょう…、むしろ苦しくなっていませんか?
それは、わざわざ重荷を増やして、自分を縛り付けているからだと思うのです。
断捨離で得られるもの
私は、抑うつ状態で困り果てていた頃に、維持できなくなったマイカーを手放したことがあります。
その時は、車が趣味でしたから落ち込むかと思いきや、とても爽快な気分になったのを、今でもよく覚えています。
車のメンテナンスや高額な維持費、そして何よりも、モノへの執着から解放されたんですよね。
その後、断捨離という言葉が流行り出したことで、私が感じたことを再確認できました。
おかげで、モノへの執着が薄れて断捨離が捗り、随分と身軽な暮らしになりました。
世間の生きづらさとは?
話は少し変わりますが、少数派に属する人にとって、世間(世の中)は何かと生きづらいものです。
少数派の人とは、その他大勢ではない人のことです。例えば、HSP気質の人であったり、障害者手帳を持っている人であったり…。
私は、HSP気質に当てはまるのですが、過敏さゆえ直ぐに疲弊してしまいます。
また、身体障害があり手帳を持っていますが、理不尽さに葛藤することが多いです。
こういった問題に対して、声を上げて改善できればいいのですが、現実には個人の力では叶いません。
かと言って、唯々我慢しているだけでは、疲弊して腐っていくだけです。
世間に疲れない工夫が大事
そこで、神経をすり減らさない工夫や、葛藤を上手く処理する術を探すことが、とても大事になります。
また、問題に対処するエネルギーを温存しておくために、余計なモノを断捨離するのも有効です。
ここで言う「モノ」とは、マイカーなどの「物」に限らず、世間体,名誉,肩書…、と多岐に渡ります。
こういった「モノ」は、実は人生の重荷になっていて、
重荷を下ろしていくことが、生きづらさをから抜け出すコツではないか?
と感じたのです。
本ブログでは、形のない「モノ」に重点を置いて、様々な記事を書いたつもりです。
拙い文章ではありますが、少しでもお役に立てれば、幸いに存じます。
For foreigners
Nice to meet you.
Thank you for visiting my blog.
Unfortunately, I can’t post English translations at this time.
Because I can’t speak English well.
I am currently studying so that it can be realized in the future.
I am very sorry for your interest.
By the way…, Japanese “migaru” means light ♪