家と職場の往復、家事に追われる毎日…。
繰り返しの毎日がふと虚しくなるのは、至って正常な感覚であって、人生を見つめ直すチャンスです。
家と職場の往復に虚しさを感じる人
働き方の多様化と言われる日本。
しかし、実態はどうなのかと見渡せば、会社員か公務員が大半を占めています。
毎朝、満員電車に詰め込まれ、同じ道を会社へ向かう。
ふと虚しさを感じて、このまま乗り過ごして何処かへ行きたい…、なんて思ってもグッと堪える。
こんな毎日を続けていると、フリーランスや自営業の人は自由でいいなぁ…、と羨んでしまいますよね。
繰り返しの毎日が虚しいことに気づく
確かに、フリーランスや自営業の人には、通勤の悩みは無いかもしれません。
でも、同じことを繰り返す状況に、虚しさを感じるようです。
そう…虚しさの原因は、繰り返しの毎日にあるんですよね。
例えば、専業主婦の人は、当に繰り返しの毎日でしょうから、虚しさを感じやすいとお察しします。
また、この類の悩みに無縁そうな学生さんも、繰り返しの学校生活に虚しさを感じる人はいるようです。
ここで、繰り返しの毎日に虚しさを感じるのは、決して異常なことではないんです。
むしろ、人として真っ当な感覚なので、今回は掘り下げて書いてみました。
繰り返しの毎日が虚しい理由を考える
ほとんどの人は、休日に楽しみな予定を入れたり、プチご褒美を用意したりして、この虚しさを凌いでいると思います。(もちろん私も同じです。)
そんな過ごし方が、駄目だとは言いません。
でも、楽しみが終わって日常に戻ると、虚しさが顔を覗けることがありませんか?
ここで、穴を掘っては埋めるという、刑務所の労働の話があります。
この作業を続けるうちに、ほとんどの人は気が狂うそうです。
それは何故か?…、意味がないからです。
「継続は力なり」の言葉がある通り、繰り返すこと自体は、何事にも大事な行動です。
しかし、繰り返す先に意味や目的が無いから、何とも言えない虚しさに襲われるんですよね。
これらを踏まえ、改めて私たちの人生を振り返ると、虚しさの原因が分かってくるでしょう。
人生は 喰て寝て起きて 糞たれて 子は親となる 子は親となる
とは、一休和尚の有名な言葉です。
この言葉に、反論できる人はいるでしょうか?(私はできません。)
何のために生きるのか?を考えるチャンス
突き詰めて考えると、目的を持たずに生きるのは、苦しむために生きることになります。
今回のテーマである「虚しさ」を感じるのは、この矛盾に気づくチャンスだと思うのです。
「人間は考える葦である」の言葉がある通り、何のために生きるのか?…と考えるのは、人として真っ当なことです。
「人生は苦なり」とはお釈迦様の言葉ですが、人生こんなもんだ…という意味でないのは、ここまで読み進められた方には分かると思います。
この問題と向き合うのは、非常に苦しいことですが、かと言って逃げてばかりでは、穴を掘っては埋める消耗戦で終わってしまいます。
繰り返しの毎日に虚しさを感じた人は、気力の満ちている内に仏教の言葉に多く触れて、人生を見つめ直すチャンスにして欲しいです。
くれぐれも、怪しい占いや新興宗教に迷わぬよう、お互い気を付けましょう。