人は生活するために働くのですが、毎日ひたすら仕事、仕事、仕事…。
ふと、虚しくなることがありませんか?
この虚しさを気のせいにせず、若いうちに人生を考えましょう。
人生の大半を占める勤労
世の中で生活するためには、勤労が避けられません。
家計を背負う人の場合、1日のうち大部分を勤労に割いていると思います。
それを、1週間→1か月→1年…と積み重ねると、人生の大半を勤労に費やしていることに気づきます。
この事実を冷静に考えると、このままの人生でいいのだろうか?、と不安になるのは無理もありません。
でも、ほとんどの人は立ち止まることなく、黙々と働き続けていると思います。
なぜなら、結婚,子供,住宅ローン,老後…、出費の予定に終わりはなく、立ち止まる暇など無いからです。
幸い(?苦笑)、私は家庭を持っていないため、ここまで追いまくられていませんが、勤労を止めることはできません。
働き詰めだった20代の頃
私にも、夢を抱いて何の疑問も持たず、闇雲に働き詰めの時期がありました。
- 平日は、朝から夜中まで働き通し、自宅は寝に帰るだけの場所
- 土日は、溜まった疲れとストレスから、家事をこなすので精一杯
- そして、また次の1週間が始まる…
自分のための時間を、ほとんど確保できないんですよね。
皮肉なことに、お金だけはどんどん貯まるんです。
この状況を、お金が貯まるんだからいいじゃないか!、と言う人がいます。
そう割り切れる人は、苦に感じずやり過ごすのでしょうが、私は心が折れてしまいました。
こんな生活がいつまで続くのだろう…、と疑問が湧いてしまったが最後、抑うつ状態で動けなくなったのです。
でも、人生の折り返し地点で振り返ったとき、20代で挫折して良かったと思ってます。
気力のある若いうちに立ち止まり、人生について考える時間を持てたからです。
決して、負け犬の遠吠えじゃないですよ(笑)。
抜け殻のような定年後の生活
私は、定年とは程遠い年齢なので、定年後の生活は経験していません。
でも、父親の姿を見て思ったんです。
決して幸せな第二の人生じゃないな…
貯めたお金で老後を楽しむ、とは程遠い、抜け殻のような姿だったからです。
おまけに、働き詰めたツケが回ってきたのか?、次から次へと病気に悩まされ、医療費にお金を使うばかり…。
こうなると、何のために働き詰めてお金を稼いだのか、訳が分かりません。
お金は沢山あっても、それを使う気力が無い…、そんな状況です。
もちろん、育ててもらった恩は計り知れないですが、それとこれとは別の問題です。
父自身の人生として、こんな定年後を迎えるとは、さぞ虚しかっただろうと思います。
私は、そんな父親の姿から、何かを学ばなければと感じました。
働くだけの人生に疑問を持つ
週始めをブルーマンデーで迎え、水曜日には早や息切れし、やっと花金(古いw)とバカ騒ぎ…。
休日は、仕事のストレスを解消するために、ひたすら寝るか浪費をしまくり、日曜日の晩にはサザエさん症候群…。
日本人の大半は、会社員か公務員でしょうから、頷ける人が多いと思います。
でも、こんな繰り返しの生活を続けて、大丈夫なのでしょうか?
何のために働いているのか、疑問が湧くのは変でしょうか?
これらの疑問が湧くのは、真っ当だと私は思います。
繰り返しの生活の先に、ゴールが無いからです。
ゴールが無いから、ふと不安になったり、虚しくなったりするのでしょう。
若いうちに人生について考える
これらの疑問から目を逸らして、一時的にやり過ごしたところで、何の解決にもなりません。
そのまま定年まで突き進めば、人生について考える気力は残っておらず、抜け殻な老後が目に見えています。
人生は 喰て寝て起きて 糞たれて 子は親となる 子は親となる
とんちで有名な、一休和尚の言葉です。
何百年も昔の方なのに、現代人の姿を指摘されているようで、とても耳の痛い言葉です(汗)。
この言葉を、人生こんなもんだ…と聞き流すか、こうであってはならない…と受け止めるか、とても重要な分岐点になると思いませんか?