消費するだけの生活は空しい

i-think ふと思うこと

消費を促すことに躍起な社会

新型コロナウイルスの流行が止まらぬ中、世の中の流れはどうかと言えば、徐々に元の状態へ戻りつつあります。
それを後押しするように、Go To トラベルだのGo To イートだの、消費を促すキャンペーンが本格的に始まりました。
さらに、感染拡大防止のための規制も緩和されたので、街への人出はさらに回復することでしょう。

とは言え、根本的な問題は残ったままなので、引き続き感染防止の行動は必須です。
建物へ入れば、いたる所にアルコール消毒液が設置され、人が対面しそうな場面では、飛沫防止シートが垂らされています。
今後はずっと、こういう光景が当たり前になるのかな…と思うと、必要とは言えど少し違和感を覚えます。

消費に踊らされる個人

違和感を覚える…と言えば、「ウィズコロナ」と言われ出してから、はや数ヶ月が経ちました。
街中を光景を見ていると、ちょっと異常なのでは?、と思うことが度々あります。

例えば、居酒屋でフェイスシールドをして飲み会…、あれってハッキリ言って意味ないですよね(汗)。
「3密」を回避することが完全に抜けていて、非常に残念で滑稽な光景です。
そこまでして呑みたいか?、って呆れてしまいます。

もっと酷いのは、ショッピングモールのゲームコーナーにあるメダルゲーム…、飛沫防止シートだらけなのを見たことありますか?
あそこまでいくと、呆れるを超えてしまって、異様な光景に映ってしまいます。
もちろん、娯楽の自由をとやかく言う資格はありませんが、そこで小さな子供までが遊んでいるのを見ると、世も末だな…と感じるのは私だけでしょうか?

  • 感染拡大が止まらず、怖い思いをしたんじゃないの?
  • それなのに、そこまでして消費しまくりたいの?
  • どうして、無理やりにでも元に戻そうとするの?

私は個人的に、様々な疑問が沸き上がってきました。
でも、同じような疑問を持っている人は、少なからずいると思いたいです。

消費するだけの空しさ

私は、社会人になってから20代前半の頃、繰り返しの毎日に疑問を感じました。
いったい、何のために働いているのか、分からなくなったんです。

  • 平日は毎日、同じ電車に揺られ、同じ職場で仕事をする
  • 昼休憩には、同じ食堂へ行き、同じ食事を腹に掻き込む
  • 仕事が終れば、当てもなく寄り道をして家路につく
  • テレビを見ながら夕飯を食べて、後は風呂に入って寝るだけ

翌朝に目が覚めれば、また同じことの繰り返しです。
こんな毎日を過ごしていれば、相当なストレスが溜まります。
そして、休日は何をやるかと言えば、ストレス発散のためにお金を浪費するだけ…。

まさに、ストレス発散に使うお金を稼ぐために仕事に行く…、そしてストレスの根源は仕事なのです。
私は、そんな生活の実態に愕然とし、抑うつ状態になってしまいました。

このスパイラルに疑問を持たない人は、それでいいんだと思います。
こんな毎日を耐えて自己管理するのが社会人だ!、みたいなことを言う人も結構います。
…が、新型コロナウイルスの危機に直面しても尚、何の疑問も持たず元の生活へ戻ろうとするのは、如何なものかと思うのです。

人間は考える葦である

確かに、人間の営みを突き詰めれば、結局は消費生活に行き着いてしまいます。
でも、そこに疑問を感じない、あるいは気付かないフリをするのは、そろそろ止めて、反省する段階ではないかと思うのです。

人生は 喰て寝て起きて 糞たれて 子は親となる 子は親となる
 
「一休さん」こと、一休和尚の言葉です。
この言葉は、「人生なんてそんなもんだ」なんて言っているのでは、決してありません。
現代人の行き過ぎた消費生活ぶりに、痛烈な皮肉と疑問を投げかけていると、私は感じています。
日常に疲れてふと立ち止まった時、この言葉と同じような空しさを感じる人は、少なくないと思います。

空しさを感じるということは、そこに何らかの問題がある訳で、そのまま放置していても解決しません。
その問題のひとつが、消費だけの生活に陥っている点だと、個人的に思っています。
非常に難しい課題ですが、それを考えることこそが、人間らしい生き方ではないでしょうか?

今回、新型コロナウイルスによる大きな変化が生じましたが、今までの生き方を見直すキッカケを、与えてくれたように思います。
確かに、消費社会に疑問を持ちながら生活するのは、楽ではないので少数派でしょう。
でも、近年になって「SDGs(持続可能な開発目標)」いう言葉が出始めたように、少しずつ世の中も変わり始めています。
ですから、今までの「当たり前」に疑問を持って、考える習慣を持つことが大事だと思うのです。

タイトルとURLをコピーしました