未だ続くコロナ禍の中、世の中は元の消費社会へ戻りつつあります。
ここは立ち止まって、私たちの消費生活を見直す機会では?、と思うのです。
過剰な消費社会への疑問
冒頭から、堅苦しい質問で恐縮ですが…
私たちの生活って、便利すぎるとか行き過ぎているとか、疑問を感じたことはありますか?
- ある → この記事をキッカケに、もっと掘り下げていただけると思います
- ない → ひとつの捉え方として、この記事を読んでいただけると幸いです
何が行き過ぎているか?、については、人それぞれ感じ方が違うことでしょう。
私の場合、食品ロスの問題を目にする度に、強い罪悪感を覚えます。
今回、長引くコロナ禍に晒されながら、あまりにも行き過ぎた消費社会の実態に、改めて気づかされました。
そして、私たちの生活レベルを維持させるためには、自転車操業を余儀なくされ止められないことが、ハッキリと浮き彫りになりました。
長引くコロナ禍で生活が一変?
何が自転車操業なのか?、と言いますと、思い当たるニュースがいくつかあります。
恥ずかしながら私は、石油や牛乳の供給について無知であったため、非常にショックを受けました。
おそらく、これらは氷山の一角でして、知らぬまま当たり前のように消費しているものは、たくさんあると思います。
ところが、生産者側の苦労はつゆ知らず、私たち一般消費者は、目先の不便さに不満ばかりです。
余った石油がどうなろうが、売れない牛乳が廃棄されようが、知ったこっちゃない…
こういう感覚って、あまりにもお粗末だと思うのです。
上で挙げたニュースは、今までの生活が異常だったと反省する、良い機会ではないでしょうか?
誰かの犠牲の上にある私たちの生活
それでも、今までの生活のどこが異常なの?、そう感じる人がいるかもしれません。
今回は、いくつかの例を挙げて、私なりに思うことを書いてみました。
便利過ぎる生活を裏で支えている人
例えば、土日祝にショッピングモールへ行けば、欲しいものが何でも揃います。
豪華に外食をしようと思えば、好きなものが何でも食べられます。
でも、こうやって大多数の人が休日を満喫できるのは、土日祝に働いている人や、夜中に物流を担っている人がいるからです。
これを、「給料を貰っているのだから当たり前だろ?」と切り捨てるのは、少し違うと思うのです。
一度、年末年始に繁華街でアルバイトをしてみると、働く側の気持ちがよ~く分かります。
大勢の人が休日を楽しんでいる中、客から文句を言われながら働くのって、相当なストレスを感じるものです。
便利過ぎる環境にいることを自覚して、働いている人への感謝の気持ちを持つことは、必要な心がけだと思うのです。
ありあまる食べ物の裏で泣いている人
スーパーマーケットへ買い物に行けば、旬の食べ物はもちろんのこと、何でも手に入りますよね。
気づきにくいですが、バナナやチョコレートなどの食べ物は、ビックリするような安さで買えます。
これをまた、当たり前のことだと受け取るのは、ちょっと考え直して欲しいのです。
これらの食べ物は、ほとんどを輸入に頼っているのが現状で、現地では安過ぎる労働賃金で働いている人がいるのです。
逆の立場で考えると、よそ者がやってきて資源と労働力を搾取している、と非難されても仕方がないと思いませんか?
便利過ぎる生活の裏では、どこかで誰かを犠牲にしていると心に留めておくことは、とても大事だと思うのです。
治療薬開発の裏で犠牲になっている生き物
日本って、医療や薬にとても恵まれている国でして、おびただしい数の動物実験の上に成り立っています。
この度のコロナ禍でも、新型コロナウイルスのワクチン開発のため、たくさんの生き物が実験台にされたことでしょう。
つまり、私たちが病気から身を守るために、間接的に他の生き物を犠牲にしているのです。
いや…仕方ないじゃないか?、と思うかもしれません。
でも、犠牲になる生き物の立場で考えると、仕方ないでは済まされませんよね?
薬に限らず、私たちの生活はあらゆる面で、様々な生き物の犠牲の上に成り立っていることを、決して忘れてはいけないと思うのです。
ホセ・ムヒカ元大統領と「足るを知る」の精神
コロナ禍での一連の出来事は、私たちに多くのメッセージを示してくれたと、個人的に感じています。
ところで、「世界でいちばん貧しい大統領」という話は、ご存知でしょうか?
ウルグアイという国の元大統領、ホセ・ムヒカ氏のことです。
消費主義社会に異議を唱えた人で、その有名な演説は絵本にされたり、英語の教材に使われたりしています。
この人も、演説の中で述べているのですが、石器時代に戻れと言っているのではありません。
停滞している経済を、元の行き過ぎた状態に戻すのではなく、全く新しいモデルへ舵を切れば、今回の出来事が教訓として活かされると思うのです。
もちろん、個人が声を上げて行動を起こしたところで、すぐに状況が変わることはないでしょう。
でも、本記事で挙げたような問題に目を向け、立ち止まって考えることは大事なんですよね。
「足るを知る」という、仏教の言葉があります。
この言葉について、今回は深く触れませんが、多くを求めず身の丈に合った暮らしは、地球のためだけでなく精神面にもとても良いのです。
これを機にあなたも、生きていく上で本当に必要なモノについて、見つめ直してみませんか?