ここ数年の間、HSPの書籍が急に増えたと思いませんか?
こうなると、何が正しい情報なのか、混乱してしまいますよね(^^;)
世間に知られ始めたHSP
私が、初めてHSPを知った頃は(確か7年ほど前かな?)、HSP関連の書籍と言えば、大型書店のメンタルヘルスの棚に、ポツンと1冊あるくらいでした。
ところが…今や、一番目立つ特集コーナーのど真ん中で、何種類も山積みにされています。
最近では、情報番組やワイドショー等でも、HSPが特集されているそうですね。
私は、HSP気質のしんどさからテレビ番組を全く観ないので、スマートフォンのニュースで見かけて、非常に驚きました。
ここに来て急に、HSPが取り上げられ始めたのは、いったい何故?
たぶん、某お笑い芸人さんがSNSで告白したことが、メディアに晒されるキッカケでしょうね。
HSPが独り歩きしている?
HSP気質の人は、全人口の5人に1人と言われ、少数派ゆえに生きづらさを抱えやすい訳です。
ですから、HSPとは何ぞや?ということが世間一般に知られるのは、当事者にとっては助かる面はあります。
…が、HSPを取り巻く最近の流れを見ていると、本来の趣旨から逸脱していると感じるのです。
- 何でも「HSPあるある」にしている人
- HSPを既得権益のように振りかざす人
- 流行りに便乗してビジネスに利用する人
何だか、湧いて出たようにHSPの情報が蔓延して、独り歩きしているような状態ですよね。
いったい、この人達は何がしたいのだろう?…と、違和感を覚えてしまいます。
人は我慢されて生きている
例えば、「HSPあるある」という言葉で、SNSやコミュニティで共感しあうのを、最近よく見かけますよね。
ただ、これもHSP気質だよね?…と何でも当てはめて、それを公に情報発信するのは、少し行き過ぎだと感じます。
HSP気質の程度は、それこそ人それぞれでしょうから、自分の中で納得がいけば良い訳です。
それを、わざわざ電波に乗せて披露することに、どれだけの意味があるのでしょうか?
余りに過ぎると、HSP云々の話ではなくなり、単なる価値観の押し付けにもなりかねません。
私は、うつ病と神経症で悩んでいた当時、とても信頼を置いている方から、とあるアドバイスを頂いたことがあります。
それは、「人は我慢されて生きている」という言葉でした。
- 自分だけが我慢しているのではない
- 自分も周りから我慢されているのだ
- だから謙虚な姿勢を忘れてはいけない
といった趣旨です。
これは決して、「卑屈になれ」という意味ではありません。
お互い様という精神を忘れていないか?、というメッセージだと私は感じました。
これが欠けると、自分中心の主張ばかりになり、滑稽な姿になってしまいますよね。
HSPの情報と上手く付き合う
HSPは気質のひとつであって、病気ではありません。
たまに見かけますが、「治す」や「克服する」の表現は、相当な筋違いですよね。
ちなみに、医者でない者が「治す」という表現を使うと、法律違反の可能性があります。
もし、このような表現が使われたHSPの記事を見かけたら、誤った情報だと思った方が無難でしょう。
また、何かで認定されるものでもありませんから、主張を振りかざすのも目的違いですよね。
HSP気質とは、生きづらさを減らすために提唱されたもので、そこからブレないことが大事だと思います。
日本人は熱しやすく冷めやすいので、目移りする程の書籍やテレビ番組の特集も、そのうちブーム?が去ったら落ち着くでしょう。
ですから今は、HSPに関する過剰な情報に呑まれないよう、一歩引いた視点で観察するのが無難ですよね(^^;)