トップに立つとは犠牲の上に成り立つこと~オリンピックの意義を考える~

i-think 少数派のつぶやき

問題だらけの東京2020オリンピック…、その意義さえも二転三転しましたね(皮肉)。
今回は、トップに立つとはどういうことか?について、私なりに書いてみました。

オリンピックの一般的な意義

「おもてなし」という言葉から始まった、東京2020オリンピックが遂に開幕しましたね。
ところが、エンブレムの盗作疑惑、新国立競技場のデザイン変更、終いにはコロナ過による延期…
あまりにも、問題が起きすぎたため、すっかり冷めてしまった人も多いと思います。

これら一連の問題の本質を探ると、金や名誉しか頭にない人間の姿が、見え隠れしているように感じます。
おまけに、オリンピックの意義も二転三転し、いったい何のため、誰のための五輪なのか?、疑問を持ってしまいましたよね。

オリンピックの意義とは、一般的には「平和の祭典」とか、「参加することに意義がある」とか言われます。
しかし、今回の一連の問題によって、金と政治のための祭典という現実が、浮き彫りになったような気がします。

トップを目指すとはどういうことか?

冒頭から、硬い話になってしまいましたので、本来のテーマに戻しますね。

子供の頃を振り返れば、4年に一度のオリンピックは輝いて見えて、とても楽しみにしていたのを覚えています。
100m走をトップでゴールする選手を見て、カッコいいと思ったものです。
ところが、大人になるとモノの見方が変わるもので、オリンピックに対する見方も変わりましたね。

オリンピックの舞台を目指す選手は、一般人には想像もつかないトレーニングを積み、地道な努力の集大成をぶつける訳です。
その過程の中で、様々なドラマが生まれて、見ている人を感動させたり、勇気づけたりするのです。
もちろん、そういう意味では、オリンピックでトップを目指すって、素晴らしいことだと思います。

でも、一歩踏み込んで考えてみると、トップに立つとは単純に賞賛されることなのか?、と疑問が湧いてくるのです。

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トップの影で泣いている人がいる

トップに立つということは、その下には勝負に負けた人がいる訳です。
言葉は悪いですが、トップを目指すということは、確実に他を蹴落としていくことです。
もちろん、蹴落とすなんて悪意はないけれど、結果的にはそういうことだと思うのです。

これは、スポーツに限らず、この世の中ではあらゆることが、競争社会によって成り立っています。
例えば、学生の頃には、良い大学へ受かるために、必死で勉強をしたものです。
晴れて、希望の大学に合格すれば嬉しいですが、その陰では確実に泣いている人がいる訳です。

それを、自分の努力が報われたとか、他の人の努力不足と言えば、確かにそうかもしれません。
でも、単にそれだけで済ませるのは、いささか浅ましいと感じざるを得ません。
そんな考えの人を、純粋に賞賛できるでしょうか?

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犠牲の上に成り立っていることを忘れずに

特に、オリンピックを見ていると分かるのですが、トップに立てるか否かは本当に紙一重ですよね。
つまり、個々の努力の差も、わずかだと思うのです。
ですから、そのトップに立てたということは、沢山の犠牲の上に成り立っている訳です。
トップに立つ人は、その陰で泣いている人を想像できてこそ、本当の意味でふさわしい人だと感じます。

冬季オリンピックにて、スピードスケートの小平奈緒選手と韓国の李相花選手との間で、とても印象的なやりとりがありました。
最速タイムを打ち出し、金メダル確定となった小平選手が、次に滑る李選手を気遣う有名なシーンです。
金メダルが犠牲の上に成り立つことを、自身の経験で理解しているからこそ、あのような気遣いが自然に出たのだと思います。

語りつぎたい小平奈緒の神対応(日刊スポーツ)

トップに立っても、決して謙虚さを失くさない人って、純粋に賞賛したいですよね。
オリンピックの意義とは、そういったことを学ぶ場だと思いました。

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