少数派の生きづらさを考える

こんな方に向けて書きました♪

  • 障害者社会の現状に違和感を感じる
  • 障害者手帳を持っているが逆に生きづらい
  • HSP気質のため世間で生きづらさを感じる

障害者社会の現状

当事者の私は知らなかったのですが、12月3~9日は障害者週間だそうです。
街中の施設では、バリアフリーが当たり前になりつつあり、雇用の面でも障害者枠の話題を耳にすることが多くなりました。(例の水増し問題で余計に広まりましたが…。)
来る2020年には、東京でオリンピックとパラリンピックが開かれます。
このように、障害者社会は世間に浸透しつつある…、一見すればそう思います。
しかし、果たして障害者手帳を持っている当事者にとって、本当に暮らしやすい世の中になっているでしょうか?
ハッキリ言いますと、答えは”否”だと感じるのです。

私は諸事情があって、けっこう最近になってから障害者手帳を持ちました。
まず初めに感じたことは、何て生きづらい境遇なんだ…という一言に尽きました。
例えば、障害者割引ひとつ挙げても、不便さが際立っています。
当事者の方ならお分かりでしょうが、割引を受けるためには窓口での煩雑な手続きが付き纏います。
体が不自由な人のための制度なのに、わざと不便にしているのか?と疑いたくなる程、手続きの面倒なものが多いのです。
また、ニュースで話題になった障害者雇用についても、問題だらけだと唖然としました。
障害者手帳を持っているというだけで、能力適正など無視して一律に単純作業しか課さない…。
やりがいの皆無な雑用を延々とやらされては、同雇用枠の定着率が上がらないのは当然なのです。
このように、世間における障害者の生きづらさは、改善されているどころか逆行していると私は思うのです。

HSP気質の生きづらさ

世間で生きづらさを感じているのは、障害者の人だけではありません。
例えば、最近になって日本でも耳にするようになったHSPも、生きづらさを感じやすい人に挙げられます。
HSPについては、詳しくは別の記事で書いておりますが、 Highly Sensitive Person の略で”ひといちばん繊細な人”とか”敏感すぎる人”とか訳されています。
一般的な人より色々なことに敏感すぎるが故、仕事や私生活で疲れ切ってしまうのです。

こんな私も、書籍を通じて自身がHSP気質であること、そのために今まで生きづらかったこと等、色々と気づかされました。
この疲れやすさが原因で、適応障害だとか神経症だとか診断され、職を転々としてきた経緯があります。
とにかく、組織に馴染めないといいますか…、たった1日でもグッタリと疲れ切ってしまうんです。
行き詰った私は、障害者といいHSPといい、何故こうまで世間で生きづらいのか?、色々と分析したことがあります。
その結果、“少数派”だから生きづらい、という共通点に気づいたのです。

少数派の生きづらさとは?

世間では、実に様々な人々が暮らしています。
背の低い人や体の大きい人、右利きの人や左利きの人、神経質な人や大雑把な人…。
でも、全ての人が満足するような世の中なんて不可能な訳で、どうしても多数派である人が基準になってきます。
そんな中で少数派の人は、程度の差こそあれ不自由さを感じるは当然だと言えます。
その程度が極端に大きくなると、障害者やHSP気質の人のように言葉で区別され、不自由さが生きづらさへと拡大している…、個人的にはそう思うのです。
では、少数派の人が受ける生きづらさとは、具体的にどういったものでしょうか?

物質的な側面

先ほども書きましたが、世の中の物や仕組み等は、多数派の人を基準にして作られています
物を作る際には、同じものを大量生産することで効率化が図れて、コストダウンに繋がるからです。
そのため、服を選ぶにしても標準体型からかけ離れた人は、安売りの恩恵を受けられなかったりオーダーメイドをしたりと、余計なお金がかかる訳です。(私もスーツを買う時なんかは悩みの種です。)
仕組みを作る際には、狭い面積に大人数が住んでいる日本では特に、多数派を基準にしないと世の中が上手く回りません。
でも、それでは重い障害を抱えた人が暮らしていけないから、障害者手帳という制度で線引きをして負担を軽くしているのです。
だから、障害者手帳を持っていない(持つことができなかった)人でも、持っている人並みに不自由を強いられている場合はあり得ますよね。

精神的な側面

物質的な側面では、少数派の人が受ける負担を減らすことは、まだ難しいことではありません。(とはいっても現実は充分でないと感じますが…。)
私が問題だと強く感じるのは、精神的な側面で少数派が端に追いやられることです。
私は、人生の途中から障害者手帳を持ちましたが、健常者(多数派)の人との精神的な隔たりに愕然としました。
障害者手帳なんて、役所が一定のところで線引きをした制度に過ぎないのに、それを持っているというだけで特別扱いが過ぎるんですよね。
健常者の人は、その特別扱いが配慮だと勘違い?していますが(かつての私もそうでした)、ハッキリ言って逆差別だと思うのです。
配慮しているフリをして、実は障害者という枠に追いやっているのではないでしょうか?
その証拠に、私が実際に経験した障害者雇用の現状は、仕事を渡さないというパワハラだと感じました。

根強く残る差別

人間というのは、多数派に迎合しやすい生き物で、日本人は特にその傾向が強いと感じます。
合わない人を集団から排除するその他大勢…、村八分という言葉もあるように、昔から問題の本質は変わっていないのです。
だから、HSP気質の人も変わった人扱いされて、端に追いやられている訳です。
私は、いくら物質的な配慮で平等を目指しても、根底にある精神面の問題に目を向けない限り、平等な社会なんてあり得ないと思っています。
現在の障害者社会は、ハッキリ言って”平等という名の不平等“に陥っている…、だから滑稽に映るのではないでしょうか?

世間と上手くつきあう

これだから日本は生きづらい…とは言っても、この世間で生きていくしかない訳で、急に世の中を変えようなんて不可能に近いですよね。
自分の周りの人を変えようとするのですら、疲弊するばかりで無理難題ですから…。
かといって、その中で我慢しているばかりでは、自分が腐っていくだけ…。
それならば、世間と上手くつきあうという方法なら、無理なくできると思いませんか?
世間と上手くつきあうとは、(私の場合ですと)多数派の思考を逆手にとって、生きやすい環境に身を置くということです。
生活面で言いますと、人混みが苦手であるのなら人手の少ない時間帯に街で過ごす…、といった具合です。
この辺りのことは、正に本ブログのテーマでして、他の記事でもつらつらと書いております♪

次に精神面では、これが世間というものだから多くを期待しない、という心の持ち方が非常に大事だと思います。
世間虚仮“という、聖徳太子の有名な言葉があります。
これは、世間というものは嘘偽りであり仮のものである…、という意味でして、まさに現実だなとしみじみ感じます。
だからといって、アキラメ主義になれ…なんて言っているのでは、決してありません。
この言葉には、”唯仏是真“という続きがあります。
これは、仏が説かれた教え(仏教)のみが真実である…、という意味でして。仏教の言葉なんですよね。(詳しくは別の機会に書こうと思っています。)

世間には、障害者雇用だの、差別的用語の制限だの(言葉狩り)、色々な配慮が広まってきました。
でも、当事者の立場に立つとよく分かるのですが、こういった配慮は全くの見当違いでして、差別思想に拍車をかけていると思うのです。
先ほども書きましたが、逆差別というものですね。
こんな虚仮な世間に真っ当な期待をするから、裏切られては傷ついてを繰り返し、生きづらさが増大するのだと感じます。
世間に期待するのではなく、色々な知恵をお借りして自分から生きやすい環境に身を置くことが、今のところ私の辿り着いた答えです。

お勧めの映画

最後に、私と同じく生きづらさを抱えている方に向けて、お勧めの映画を2つご紹介します。
いずれの作品も、少数派の生きづらさについて鋭い視点で描かれており、心が少し軽くなると思いますよ♪

  • ビッグ・フィッシュ(ティム・バートン監督)
  • ジョゼと虎と魚たち(犬童一心監督)

バートン監督については、この他に『ダンボ』とかもお勧めですね。
奇才な監督として有名ですが、実は重いテーマを独自の視点で描いた良作が多いでんす。
なお、ジョゼ…は私が一番好きな作品でして、別の記事でも書いてますので是非ご覧ください♪