コロナ禍がようやく収まり、元の生活に戻りつつあります。
こんなご時世だから、儚い人生と向き合って、毎日を丁寧に暮らそうと思うのです。
コロナ過が収まって思うこと
今回は、冒頭から重いテーマに触れますが、誰でも「死」は怖いものです。
これは、否定のしようがないことで、新型コロナウイルス(COVID-19)による状況が、何よりの証拠だと感じました。
新型コロナウイルスが怖い…、と思ってしまいがちですが、そうではなくて、感染して死に至ることが怖いんですよね。
特に、志村けんさんの訃報を知った時は、突然の死は他人事ではないと感じました。
ある日突然、非情な現実を突き付けられたようで、非常に動揺したのを覚えています。
人生の現実を伏せる現代社会
繰り返しになりますが、「死」は誰にも必ずやってくるもので、逃れられる人はいません。
けれども、普段の生活で意識したり考えたりする機会は、ほとんど無いですよね。
なぜなら、現代社会は、死から目を背けて、触れないようにできているからです。
例えば、病院の入院病棟には4号室がありません。
マンションやアパートも、「4」の付く部屋番号が無いですよね。(4階は例外ですが…。)
また、生々しい血の色を映像表現に使うと、放送倫理上の理由から規制がかかります。
個人的に言わせてもらうと、映像表現の規制はともかく、4なんて唯の数字に過ぎないんですよね。
コロナ禍で気づかされた「人生の儚さ」
また、「死」は老後になってからの話、と思っている人がほとんどだと思います。(もちろん私も同じです。)
それが今回、新型コロナウイルスという具体的な形で、目の前に突如現れたものだから、慌てふためくのも無理はありません。
でも、今日の仕事帰りに車にはねられて、命を落とす可能性だってある訳です。
むしろ、車にはねられる確率の方が、よっぽど高いかもしれません。
そう考えると、私たちの命はいつも危うくて、とても儚いものであると気づかされます。
仏教には「老少不定」という言葉があり、「人の寿命は老いや若さとは関係ない」という意味です。
そして、死から目を背けて生きるのは、とても愚かなことだと説かれています。
毎日を丁寧に暮らすことから始めよう
いつも死のことばかり考えていたら、人生が暗くなってしまうじゃないか…、と思うかもしれません。
はたして、本当にそうでしょうか?
むしろ逆で、今まで死から目を背けてきたから、今回のコロナ過で慌てふためき、暗くなっていると思うのです。
普段から、死を身近に据えて暮らすのは、とても大事なことなのです。
死を身近に据えて暮らすとは、今を真剣に生きるということで、結果的に充実した人生に変わります。
ちょっと言葉が重い…と感じる方は、毎日を丁寧に暮らすことから始めましょう。
コロナ過がすっかり収束しましたが、やれやれ疲れた…と元の生活に戻るのではなく、自分の人生について考える機会にしてこそ、意義があると思うのです。