世間は週末や連休で大賑わい、自分は予定もなく寂しい…。
はて…その孤独は、一人ぼっちだから?、孤独の正体とは?
難しいテーマですが、つらつらと書いてみました。
はじめに
孤独と向き合うことは、相当な精神力を要します。
この文章を読むのもしんどいほど、耐えられない孤独感にある場合は、まず医療機関を受診することをおすすめします。
人付き合いがなく一人ぼっちで寂しい人
休日に予定がない時、一人で部屋にいる時、ふと寂しくなることがあります。
私のように、一人でいる方が楽な気質でも、恋人同士や家族連れの楽しむ姿を見ると、さすがに寂しさを感じてしまいます。
そんな時は、SNSやゲームをしたり、テレビを観たりするうちに、何とか気が紛れるものです。
ところが、例えば職を失って失業中の場合、中々しんどい状況に陥ります。
暇を持て余しすぎるために、気を紛らわす引き出しが尽きてしまうから。
あんなに嫌だった会社勤めも、暇つぶしの手段だったんだなと気づきます。
プライベートが充実していても孤独な人
プライベートが充実している、いわゆるリア充(古いw)な人は、一人ぼっちの寂しさとは無縁のように思えます。
はて…、本当にそうでしょうか?
例えば、お祭りや花火大会に行った帰り道、友人と別れた後に、ふと孤独を感じることがあります。
また、恋人や家族に恵まれていても、孤独感を訴える人がいます。
この孤独感は、原因が分からないだけに、一人ぼっちの寂しさより厄介ですよね。
実は、リア充の有無に関わらず、全ての人は孤独を抱えているのです。
まずは孤独と上手く付き合う
孤独は誰もが抱えるとはいっても、じゃ仕方ないか…とはなりませんよね。
SNSやテレビで気を紛らせてばかりだと、逆に孤独感が増してしまうのは、体感したことがあると思います。
そこで、孤独と上手く付き合うことが、大事になってきます。
読書をする
良質な読書は、心のエネルギー源となります。
何を良質とするか?ですが、やはり活字を読むことですね。
活字離れと言われる現代、一番の理由はスマートフォンの普及でしょう。
多彩な情報が手に入る反面、内容や質には疑問が残ります。
その点、活字にされた文章は、シッカリと推敲されており、内容の信頼性も高いです。
紙の本で読書をすると、不思議と心が落ち着きますよ。
物書きをする
私は、心がモヤモヤした時、紙へ書き出します。
それを眺めることで、自分を客観視できるからです。
自分との対話をすることで、心が落ち着いてきます。
書き出すことを習慣づけるには、日記を始めると良いでしょう。
私も毎日、手帳に3行日記を書いています。
そのうち、物書きに心地良さを感じたなら、ブログを作って発信するのもおすすめです。
外で活動をする
自宅にこもっていると、マイナス思考になりがちです。
かといって、ショッピングモールを徘徊するのは、孤独を増すだけで逆効果です。
ポイントは、自分と向き合える場所で、ゆったりと過ごすことです。
例えば、公園や河原をウォーキングしてみると、他にも一人で運動している人を見かけ、自分だけじゃないんだと思えます。
また、ボランティア活動などへの参加は、自分と向き合うのに適した場かもしれません。
誰もが抱える孤独の正体とは?
人は皆、誰もが抱える孤独に潰さないよう、気を紛らわすなり、上手く付き合うなりして、毎日を凌いでいることでしょう。
でも、一生この孤独と付き合わなければならないのは、まさに「人生は苦なり」だと感じませんか?
そうなると、この孤独はどこからやって来るのだろう?、という疑問が湧いてくると思います。
この疑問に対して、仏教には「無明の闇より来る」と説かれています。
無明の闇とは、明りのない真っ暗な心をいいます。
そして、この無明の闇を晴らすことが、究極の人生の目的であると示されています。
儚い人生、孤独から逃げるばかりでなく、向き合うことが大事だと思うのです。
孤独と向き合うとは、仏教の書物を身近にした生活を送り、自分の人生を考えることです。
本ブログでは、仏教の言葉に触れた記事を、他にもいくつか書いています。
お時間のあるときに、ぜひ探してみてくださいね。